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フェラ・クティ、過激なハイライフ

Fela Kutiフェラ・クティ(1938〜1997)はナイジェリア出身のミュージシャン、黒人開放運動家。「アフロ・ビート」を創った人。そこそこ裕福な家庭に生まれ、1958年にはイギリスのトリニティ音楽大学に留学。そこで黒人差別に遭遇したことが、後年の活動に影響を与えた。1963年に帰国、音楽活動を始めた当初はハイライフのバンドを組んでいたそうで、アフリカツアーとかやって、それでけっこう人気だったそうだ。

ハイライフ、Highlifeとは

ハイライフというのは、ブラス・セクションやギターやアフリカの楽器が入る、けっこう大きな編成のジャズみたいなものです。

…ハイライフ?フェラ・クティがあのゆるーいノリの、にゃーんとした音楽を?一度でもフェラ・クティの曲を演奏を聴いたことがあれば、到底信じられない話しだ。ちなみにハイライフがどんな感じかは、以下の動画をどうぞ。ジャケットにガーナって写っているけれど、ガーナ辺りがハイライフ発祥の地なんだそうです。


Vis-A-Vis - Obi Agye Me Dofo

フェラ・クティのアルバム ”Confusion” 

”Confusion” は1975年リリースの、フェラ・クティのアルバムです。トラックはひとつきり、 ”Confusion Pt.1/Pt.2” 切れ目なく25分くらい続きます。

Confusion

Confusion

 

 

フェラ・クティ「Confusion」アルバムジャケット

学帽被ってるし短ラン着てるし、もうこのジャケット、猿の姿をしたスタンドから攻撃を受けて驚いている空条承太郎にしか見えない…のはさておき。バンドの編成は、ホーンセクションやエレキギターが入っていたり、確かにハイライフっぽいんだけれど、ハイライフのユルさとかニコニコ感とか幸せ感とかまったく影も無い。

基本、煽っていくスタイル。高揚する攻撃的な挑発的なリズム。歌詞が分ればもっと理解が進むんだろうけど、多分過激な政治的な内容を歌っているんだろう。こういう演奏スタイルになったのは、さっき書いたイギリス留学中に差別にあったことと、アメリカツアーで自分のバンドのハイライフ演奏がまったく相手にされず腐っていた頃にアメリカの黒人開放運動に触れたこと、等が関係しているらしい。

フェラ・クティの「アフロ・ビート」とは

上に書いたことと関連しているんだけど、フェラ・クティがアフロ・ビートと言いだしたのは何時なのか良く分らないというかピンとこない。アフロビート - Wikipediaフェラ・クティ - Wikipediaによると1960年代後半にフェラ・クティが自らの音楽をアフロビートと名付けたことから広まった。とあるけれど、それだと、ハイライフに毛が生えたようなものをアフロビートと呼んでいたことになってしまうんだが…

1960年代後半にフェラ・クティが自らの音楽をアフロビートと名付けたことから広まった。
この音楽が成立した理由にはフェラ・クティによる黒人解放運動に関連する政治的な背景があり、また楽曲においても政治的な歌詞と解放へのエネルギーを表した力強いサウンドが特色となっている。

1968年、アメリカツアーに向けた記者会見上で、自身の音楽を「アフロビート」と定義する。1968年、アメリカツアーに向けた記者会見上で、自身の音楽を「アフロビート」と定義する。1969年、アメリカへツアーに旅立つ。しかし同国においてハイライフ・ジャズはありふれた音楽であり、聴衆の関心を集めるものではなかった。

…どうも、フェラ・クティが自らの音楽を「アフロ・ビート」と呼んだことと、演奏内容が過激化したこととは関係が無いのかなと思えてきた。ハイライフをアフロビートと呼称したのは、当初は多分マーケティングの問題なのだな。YMOが演奏するフュージョンテクノポップと呼んだようなものなのだろう。

Youtubeに ”Confusion” があったので、聴いてみて欲しい。上のほうで挙げたハイライフの演奏と編成が似通っていても、流れてくる演奏はまったく異った印象であることが分ると思う。これならば誰に恥じることもない、全世界からリスペクトされるに足る音楽だ。


Fela Kuti Confusion (Lagos)

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