ドメニコ・スカルラッティへの再入門
今週、ドメニコ・スカルラッティの曲集を一枚買った。自分はドメニコ・スカルラッティに対して、実はあんまり良い印象を持っていなんだけど…このアルバムでチェンバロを弾いているのはピエール・アンタイ、Pierre Hantaï 。
ドメニコ・スカルラッティにあまり良い印象が無いといいながら、今回改めて聴いてみようと思ったのは@Mimo_Scarlattiによる、以下のような示唆に富んだ一連のTweetを読んだから。
チェンバロは音色自体が華やかだから、単音弾いても豪華に聴こえるのが良いのですよ。ピアノだと地味になる。
— ルッティ (@Mimo_Scarlatti) 2016年2月25日
で、チェンバロで敢えて複雑な和音ぶつけてヤバいことしてるのがスカルラッティの175とかとかとか。チェンバロの特長はあとは音色の豊かさだろうなぁ…曇った音、倍音質な音、丸い音、…意図した音色を出すのはかなり難しくて…いま苦戦してる。奏者の心身に機敏に反応し過ぎるので、ほんと困惑してる…。
— ルッティ (@Mimo_Scarlatti) 2016年2月25日チェンバロでは、アルペジオの速度で、あるいは音の長さ、音の数で強弱は表現する。単音には強弱はつかないが、ずっと単音で弾いてるわけではないので、その他の音との組み合わせということになるだろうか。
— ルッティ (@Mimo_Scarlatti) 2016年2月25日
今までドメニコ・スカルラッティと言えば、ピアノの演奏でホロヴィッツやフー・ツォンのもの、同時代楽器の演奏で渡邊順生のものを聴いていた程度で、チェンバロでの演奏はほとんど聴いていなかった。(スコット・ロスの録音は持っていたけれど、ほとんど聴いていなかった。だって単調で変化が無いと感じたんだもの。)
現代のピアノで
ホロヴィッツ、フー・ツォンの演奏は共通点があって。ピアノらしくタッチを音色を強弱を操って、魔術を駆使して色んな表情を見せてくれるんだ。だけどこれらの演奏にはちょっと不満があって、とても素晴しい演奏なんだけれどちょっと、いやかなり地味に聴こえるんだよね。それと、ちょっと柔弱に過ぎる。チェンバロで聴くと、けっこう華やかな派手な剛力な感じなのに…
同時代楽器で
- アーティスト: 渡邊順生,ドメニコ・スカルラッティ,なし
- 出版社/メーカー: ALM RECORDS
- 発売日: 2007/07/07
- メディア: CD
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渡邊順生のアルバムはタイトル通り、クリストフォリ・ピアノを使っています。ピアノの発明者バルトロメオ・クリストフォリによる1726製ピアノの、久保田彰氏による2005年製拡大レプリカ。拡大っていうのは、オリジナルから音域を拡大しているとのこと。拡大しないとスカルラッティの曲で弾けないのが出てきてしまうから、だったかな?CD本体を捨てちゃうんじゃ無かった。音域を拡大しなきゃいけないんだったら「同時代」楽器じゃ無いやん?適当な楽器が残っていないとかだったか。
開発初期の不充分なものとはいえピアノなので、鍵盤の操作によって音の強弱、剛柔、硬軟を使い分けでき、現代のピアノより堅めの響きで、音域によって音色のムラが大きい感じ。ノイズ成分多めで、疲れる場合もある。
チェンバロで
…目が悪いのと画像が小さいせいで、最初は魚のパイかなんかの絵だと思っていたんだけど、西瓜とか冬瓜の類いの切断面が見えていたのか。という話しはさておき。
ピエール・アンタイによるドメニコ・スカルラッティの演奏を聴くと、チェンバロなのに色々なかたちの音がする。長がかったり短かかったり、角ばっていたり丸かったり、明瞭だったり曇っていたり。アルペジオの速い遅いとか、音の粗密とか。チェンバロを聴くときにこんなことを考えたのは初めての経験だ。ありがとう@Mimo_Scarlatti!!これなら、他の人にも自信を持っておすすめできる。